2005.03.23

御前会議

御前会議@アゴラ劇場(3月21日)
作・演出:平田オリザ
出演:鈴木智香子/太田宏/申端季/兵藤公美/島田曜蔵/奥田洋平/井上三奈子/山田(五反団)

面白い! 平田オリザ率いる青年団の第48回公演。デフォルメした政治家たちが出てくる「ヤルタ会談」みたいなハナシなのかなぁと思っていたら、ちょっと違ったのでビックリ。

演劇は、人類の栄光や悲惨を描くものではなくて、少なくとも私の作りたい演劇は、人間存在の情けなさについて描くものだからだ。

パンフレットで平田オリザはこんな風に書いているけれど、例えば、「バルカン動物園」のような作品が好きな人だったら、絶対にハマる芝居だと思う。不倫や離婚など、恋愛感情のもつれが生む極めてパーソナルな人間関係のぎくしゃく感が、人類存亡の危機をどう乗り切るかという大きなテーマと同列で交錯する芝居。そうだよなぁ。ご近所レベルのウワサ話も政治家たちが真剣な顔して議論するような話題も、ちょっと引いて見ると、まるで神様の手の平の上でもがいているかのようにしか見えないこともあるもんなぁ。「御前会議」はそんな舞台。つくづく人間っていうのは情けなくて滑稽で愛おしい存在だなぁと思えてくる芝居だ。

舞台上には「朝まで生テレビ」風な会議用の円卓が1つ。登場人物は舞台のスミっこにひょっこりのぞいた穴から、はしごを登ってやってくる。会議に参加するのは、会社帰りのサラリーマンだったり、普段着のOLだったり。「御前会議」というからには、かしこまった会議が行われるのかなぁという先入観で見ていたので、ちょっと肩すかし。そこで行われる会議は、まるでどこにでもある町内会の話し合いのような内容。ある発言に対して、ある人が「それはなかったことにするということですね」というニュアンスの発言をしたりと(舞台上のストーリーとは全く関係ないのだが、これは南京大虐殺についての議論を意識したセリフだろう)、ところどころ、ドキッとするセリフを交えながらも、日常生活のごく身近な(そしてちょっと不条理な)議題が話し合われていく。例えば、駐輪場を設置するかしないかとか、賞味期限を過ぎた食べ物はいつまで食べてよいかとか、邪馬台国はどこかとか。自転車に乗らない議長が、駐輪場問題で発言する権利があるのかと突っ込まれたりと、議論は本題から少しズレたところで展開し、結局は結論がでないまま、問題は先送りされる。

後半の議題は、人はなんのため生きるか、世界とは何か。なんで町内会の会議でこんな議題が出るのかはさておき、答が出そうにないこんな問題には、ちゃんと答が出たりするのから面白い。ま、どんな答だったのかは、舞台を見てのお楽しみ。とにかく、会議に参加した人たちは、結論が出たことに満足する。

舞台上では、こんなやりとりが次々と行われ、思わず笑ってしまうのだが、私たちが仕事や日常生活において、話し合いで決めることっていうのも、デフォルメすればこんな感じなんだろうな、と思うと、笑っている場合でもないことに気づかされる。

最後の議題は、間近に迫った宇宙人の侵略について。「御前会議」は、宇宙人が地球人に対して最後通牒を突きつけるという背景があってのハナシなのだ。地球人が奴隷になることを承認しないと宇宙人は一斉攻撃をするという。さぁ、困った。それまでの議題は、いってしまえば、せっぱ詰まった問題ではない。どんな結論が出ようとも、暮らしがそれほど変わるわけでもない。けど、宇宙人侵略問題については、しっかりした答を出さないと、人類が滅亡してしまうかもしれない。そんな議論の過程で、攻撃される前に攻撃しちゃえとか、降伏して奴隷になった方がいいとか、条件付きの降伏をした方がいいとか、さまざまな提案が出されるのだが、それはまるで太平洋戦争時の真珠湾攻撃からポツダム宣言を受け入れるまでの過程が凝縮されたかのような展開。「御前会議」が、近未来を想定した舞台だと捉えると、この先も同じことが同じように議論されるという予言と受け取ることもできる。人間というのは変わらない。すなわち、歴史は繰り返すということだ。

「御前会議」は、離婚間近の夫婦や不倫関係をほのめかすような関係から生まれてくる感情が、深刻な議題と同列で交錯しつつ展開していくから面白い。もちろん答は出ない。半径数メートルの出来事も、地球規模の出来事も、ちょっとした心の振幅も、生命の危機に関わる問題も、他人の問題も、自分の問題も、みんな同レベルの話。こういう世界観、面白いなぁ。

登場人物の一人は五反団の劇作家兼務出家である前田司郎が考案したキャラクター、山田さんが演じている(私は五反団の芝居を見たことがないので、全く知らないキャラだったけど)。とはいえ、佐藤さんは、ただの人形。ハナシを振られても、何も反応しない。あるいは何か反応したかようにみんなが勝手に解釈する。見ようによっては、天皇のように見えるという仕掛け。う~ん、面白い!

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2005.03.02

蛇よ!

hebiyo
蛇よ!@スパイラルホール(3月1日)

*ちょっとだけネタバレあり

松尾スズキ大竹しのぶの2人芝居。

●初めてのSM
●突起物の女
●これからの人
●刺したね

この4つのショートストーリーの合間に「出しっぱなしの女」という短編モノクロ映画を挟む構成。トータル約1時間30分のコンパクトな芝居で、とにかく笑うが勝ち。ていうか、笑わずにはいられなかった。こんな芝居を見たのは初めてかも。ほとんどコント。最後のハナシのオチはどうかなぁと思ったけれど、そんなことはどうでも良くて、とにかく面白かった。

にしても、短編映画を含めて、どの作品も設定からしてズルイんだよなぁ。

「初めてのSM」の舞台は湿地帯に囲まれたラブホテルの一室。いけないことをして手に入れたお金を使い尽くした男(松尾スズキ)が、最後の4万円でSM嬢を呼んでというハナシ。で、実際に来たのは、泥まみれのおばちゃん(大竹しのぶ)で…。

「突起物の女」の舞台は病院の精神科。松尾スズキが医者で、大竹しのぶが、頭に妙な突起物のある患者の役。でも、その突起物は医者だけに見えるもので、結局は「どっちがヘンなの?」的な展開になる。こういうハナシは大好きだなぁ。4つのハナシの中で、イチバン好き。で、途中、医者のトラウマ的過去の回想シーンが挿入されるんだけど、これが面白い! メチャクチャ面白い。

「これからの人」は、2人とも精子の役。どっちが先に卵子に着床するかっていう、まぁ、くだらないハナシなんだけど、2人のマンガチックな演技がサイコー。大竹しのぶが演じる精子は、生まれて大きくなったら歌手になるのを夢見ている。で、周りの精子がどんどん死んでいくシュールな状況で、架空ディナーショーを披露してくれるんだけど、これが最高に笑える!

「刺したね」は、引きこもりの男(松尾スズキ)が数年ぶりに外に出たところを、ちょっとしたことでイラついていた女(大竹しのぶ)に刺されてしまうというハナシ。松尾スズキのステレオタイプな引きこもり役がいいねぇ。

「出しっぱなしの女」は、水道の蛇口を開けっ放しの女(大竹しのぶ)と水道局員(松尾スズキ)のハナシ。で、今、「蛇口」って書いて思ったけれど、「蛇よ!」の蛇って、蛇口のことだったのかなぁ。蛇って、芝居の中ではちょこっとしか出てこなかったから。さぁ、どうなんだろう?

でね、やっぱり大竹しのぶはスゴイなぁていう感想に尽きるかも。いろんな役者をナマの舞台で見ているけれど、うまい役者っていうのはセリフひと言だけでも他の役者とは違うのが分かる。何をやっても、うまい。シロウトが見ても、それがハッキリと分かる。以前、同じ劇場で見た大竹しのぶの一人芝居「売り言葉」(演出:野田秀樹)では“全力投球”感に圧倒されたけれど、今回は脱力っぷりが面白かった。4つのハナシで、それぞれが全く別人のように見えるから、ホント、つくづくスゴイと思う。

けどね、やっぱり野田秀樹演出の動き回る大竹しのぶ、狂気スレスレの大竹しのぶの方が、良かったかなぁ。ぜんぜん違うタイプの芝居なので、比べちゃいけないのは分かっているけれど…。

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2005.01.04

走れメルス

merusu
走れメルス 少女の唇からはダイナマイト!
@シアターコクーン(1月3日)

前から2列目。すっごくいい席で野田秀樹の芝居を堪能。劇場に入ると、シブがき隊や近藤真彦やCCBの曲が流れていて、ちょっと恥ずかしい気分のノスタルジー。けど、ついつい聞いてしまうんだよねぇ。

「走れメルス 少女の唇からはダイナマイト!」は、私が大好きな“あっち側(向こう岸)”と“こっち側(こちら岸)”のハナシ。あっち側からこっち側を思い、こっち側からあっち側を思い、どっちが本当なのか分からないまま、セリフの洪水。あっち側とこっち側がつながっているのかすら分からないまま、登場人物たちはお互いのあっち側を勝手に思う。鏡のこっち側と鏡の中(あっち側)。でも、どっちが鏡の外側かなんて分からない。結局のところ、あっち側の事なんて、想像でしかないんだけれど、みんながみんな何らかの意味を持たせようとする。芙蓉(深津絵里)が母からもらった日記には何も書かれていないけれど、芙蓉の口から出てくる言葉に物語は踊らされる。でも、意味があるように感じている言葉には、実はまったく意味なんてなかったり。芝居を見ている私たちも、意味があるように受け止めて、結局、最後に待っているのは悲しい結末。アイドルのメルス(河原雅彦)も同じで、マスコミの作り上げた虚像。言葉が先にありきの存在だけど、言葉そのものが虚像なんだから、メルスってそもそも何? 結局、みんながみんなその虚像に振り回される。

新聞やテレビや雑誌やネットを通じて、私たちも向こう側を見る。そもそも向こう側なんてあるのか分からないけど、例えば、今日のこんなニュース。政府が「緊急時にテレビが自動起動して避難命令を出すシステムを整備する」と発表したというハナシ。緊急時には「弾道ミサイル発射などの武力攻撃事態」をも想定しているというんだけど、こんなニュースに接するだけでも、本当にあるのかどうか分からない向こう側を(勝手に)想像してしまう。

セットがすごくて、小道具の使い方がうまくて、スピード感があって…というのは、いつもの野田演劇と同じ。1時間50分があっという間。ただ、最近の野田演劇にあった涙が出そうになる感動(「赤鬼」「オイル」「鼠小僧」など)はほとんどなかったかな。その分、ハナシが複雑で、いろいろなものが絡み合う展開は、夢の遊眠社時代を知らない私にとっては新鮮。それがきっと、パンフレットで本人が書いている「若さ」なんだと思う。

古田新太は初体験。いいねぇ。…ってズルイか? ひとことひとことが面白いし、言葉にパワーがある。存在感がある。余裕がある。野田秀樹も相変わらず面白い。2人のやりとりがイチバン笑えたかも。舞台上での役者いじりに思わずニヤリ。女優陣も良かったんだけど、数年前に「売り言葉」という芝居を見て、大竹しのぶの迫力に圧倒されて以来というもの、それを超える役者には未だ出会わず(…ってあんまり芝居を見ていないけどね)。

そういえば、年末に見た青年団の「S高原から」も、年末に読んだ多和田葉子の「旅をする裸の眼」も、あっち側とこっち側のハナシだったよなぁ。

●おまけ
※入口でもらったチラシより

「野田版 研辰の討たれ」再演@歌舞伎座(5月3日~27日)
激しいチケット争奪戦が予想されるけど、これ、話題になった演目なので、ぜひとも見ておきたい。十八代目中村勘三郎襲名披露公演。

「蛇よ」@スパイラルホール(3月1日~3月29日)
松尾スズキ作・演出の松尾スズキ×大竹しのぶの2人芝居。

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2004.12.27

S高原から

S
S高原から@アゴラ劇場(12月25日)
作・演出:平田オリザ

京王井の頭線、渋谷駅から2つめの駒場東大前駅で下り、渋谷側の改札口を出てしばらく歩くと、そこは半分住宅街、半分商店街のような静かな場所。いかにも学生たちが利用しそうなパン屋や定食屋が並んでいるからか、この街を歩くたびに、何だか懐かしい気持ちになる。アゴラ劇場があるのはそんな場所。平田オリザ率いる青年団の芝居を見るために、私は年に1~2回足を運ぶ。

受付で、チラシの山をごっそりもらう。にしても、この量、ハンパじゃない。今まででイチバン多いかも。…と思いつつ、それをひとつひとつ見るのもまた楽しいのだが、知らない劇団が多すぎる。私のように、年に数回しか芝居に足を運ばない人間にとっては、どの劇団がどんな芝居をしているのかを全く想像できない。面白いものを見逃しているとしたらソンではあるが、映画に比べると、時間と場所の制約が大きい芝居を、マメにチェックするのはなかなか難しい。仕事をしていると、手当たり次第に…というわけにもいかない。が、平田オリザと野田秀樹だけは、できるだけチェックするようにしている。

そんなことはさておき、入場が始まり、アゴラ劇場の中に入ると、舞台上には既に役者がいて、ソファーに寝っ転がっていたりする。時々、セリフ。いつ始まったか分からない…というのは大げさだけど、いつのまにやら芝居が始まっているのが、青年団の芝居の魅力で、私は大好きだ。やがて、空調の電源が落ち、間もなく芝居が本当に始まることを知らされる。劇場内から雑音が消え、ツバを飲み込むのさえためらう静かな空間。やがて舞台上でやりとりされる何気ない会話の連続に引き込まれていく。

「S高原から」の舞台は、高原にあるサナトリウム(療養所)のロビー。患者、面会に訪れる人、そしてサナトリウムの関係者が、ロビーに集まっては去り、そこを通りすぎるのだが、多くの患者の近いところに「死」がある。あるいは、多くの患者が「死」を近くに感じている。「S高原から」は、「生」と「死」についてのハナシだ。そこで交わされる会話は、たわいのないものではあるけれど、かつてサナトリウムにいた患者の死であったり、余命が短いとウワサされる患者についてだったり…。そんなセリフのやりとりが淡々と行われる。サナトリウムの日常。何も特殊なことではないのだが、面会に訪れる人にとっては非日常だ。ゆえに、「死」を自分の問題として身近に意識している人たちとの接し方にとまどう。いや、面会に訪れる人たちも、どこかで「死」を意識しているのだけど、その距離感が違う。

例えば、たった半年という時間が、面会に訪れた(元)恋人にとってはとてつもなく長いものであり、患者にとっては短かったりする。だから半年の間の日常はお互い全く異なる。「S高原から」では、何人かの患者から、恋人、元フィアンセが去っていく。どこにでもある普通の別れではあるが、その舞台となっているのはサナトリウム。どっちがいい、どっちが悪いというのではなく、とらえようによっては残酷だ。象徴的なのはラスト。ある患者だけを残して、舞台からは、患者、サナトリウムの関係者、面会に訪れた人たちが、去っていく。

もうすぐ死んでしまうかもしれない患者。そのことについて全く知らない患者。それを大げさに案じている患者。そのあり方はさまざまだけど、そのような患者を目の前にして、他の患者、面会に訪れた人たちは、それぞれの立場で、ある意味、身勝手に気を遣う。お互いがお互いを100%理解できることなどあるはずはないけれど、それをできると信じている。が、それはやはりスレ違いでしかないのだ。そして、何よりもそれぞれの立場での大切な日常がある。

死期について事前に知っていた方がいいか、それとも知らない方がいいか。答のない設問の中を、とまどいながら、不安を感じながら、淡々と過ごす人たち。「S高原から」は、地味で静かな芝居ではあるが、深く余韻を残す。

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2004.09.02

赤鬼 ロンドンバージョン

blog、本日よりスタート。続くかどうか。

akaoni.jpg

昨日、赤鬼ロンドンバージョン@シアターコクーン(★★★★)。異物の侵入を集団はどう受け止めるか、というお話。いろいろなことと重ね合わせ可能なハナシの展開はさすが。にしても、切ない結末。今の世界と重ね合わせると、う~ん、切な過ぎ。誰が鬼で、誰が人間か。イギリスの俳優による英語劇ということで、同時通訳(同時日本語版台本朗読)アリ。1,000円でラジオをレンタルして、イヤホンで聞くスタイル。はじめ違和感あったものの、中盤以降、全く気にならず。役者がうまいから? 通訳している人が、セリフを何度も噛んでいたのは、ちと気になった。野田秀樹のでたらめ言語と痙攣演技は最高。他がイギリス人で、1人だけ日本人というキャスティングも、この芝居の設定にピッタリ。何となく、野田秀樹が江頭に似てると感じたのはオレだけ? 英語劇だからか、やや空席アリ。終演後、スタッフが、ロビーでタイバージョン公演のチケットをやたらアピールしていたのは、もしかして売れていないからかも。 シンプルな舞台装置。家具にもなり、舟にもなり、洞窟にもなる小道具が印象的。シャンデリアのように見える“瓶”がキレイだった。

●今日のBGM THE BLUE HEARTS 「リンダ・リンダ」

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