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2004.12.12

旅芸人の記録

tabi
旅芸人の記録@ユーロスペース(11月27日)

監督:テオ・アンゲロプロス
出演:エヴァ・コタマニドゥ他
(1975年/ギリシア/232分)

232分。4時間弱の長編。学生時代は、途中でダウンしたが、しかし、今回はその長さを全く感じなかった。70年代に撮られたアンゲロプロスの映画は麻薬みたいなもので、1度、ハマるとその映画世界から離れることができなくなるのだ。決して明るい映画ではないのだけれど、病みつきになってしまう。で、その理由を考えてみた。映画を撮ったことがなく、古典的作品をほとんど見ない私の直感なので、あまりアテにはならないと思うが、それは、とてつもなく長い1カットの中で、過去と現在が自由に行き来するところにあるような気がする。その過程で、私は映画の中に置いてけぼりにされる。例えば、「旅芸人の記録」の場合、繰り返し出てくる選挙カーのアナウンス(「パパゴス元帥に投票せよ」云々)で、映画の中の時代がいつの間にか変わっていることに気づかされ、ハッとするのである。映画の中に放置されるという経験は、そうそうあるものではないと思うのだが、これこそがアンゲロプロスの麻薬ではないだろうか。

しかし、どの時代に放置されても、そこには「不穏な空気」があるので、安心できない。そもそも、選挙カーのアナウンスは不穏の象徴だ。アンゲロプロスの映画の中で、過去と現在を結んでいるのは、不穏な空気。「旅芸人の記録」の次に作られた「狩人」も、考えてみれば、不穏な空気を媒介として、過去・現在・現実・幻想が交錯する。新しい時代の到来を予感させるはずの大晦日(「狩人」は大晦日から新年にかけての1日の出来事が描かれた映画)や新年のパーティ(「旅芸人の記録」では、右翼と左翼の一触即発の歌合戦が繰り広げられたのが新年のパーティ)でさえ不穏なのだ。

「旅芸人の記録」では、例えば、1946年の新年パーティで、朝まで飲んでいた右翼の男たちが、まるで軍隊の行進のように街を歩いていると、いつの間にか時代が1952年になっている。それを知らせるのは、やっぱり選挙カーのアナウンスなのである。時代は変わっても、不穏な空気は何1つ変わっていない。第二次大戦が終わって、ギリシアからナチスが去っても、不穏な空気はギリシアに取り残されたまま。この不穏さが、アンゲロプロスが描いている、ギリシア現代史の暗さなのだろう(←ギリシア現代史を勉強したわけではないので、間違っているかもしれません)。で、この不穏なものに、旅芸人一座は翻弄され続ける。

「旅芸人の記録」は、重くて暗くて悲しくて救いのないハナシだ。旅芸人一座は、たった1つの芝居「羊飼いの少女ゴルフォ」を、ひたすら公演し続ける。時代に翻弄されながも、ひたすら同じ芝居だけを繰り返す。

「狩人」と似ているなぁ、と思ったのは、始まりと終わりが同じシーンであるところだ(「狩人」は厳密にいうと同じシーンではないけれど、登場人物たちが自ら同じにしてしまう)。だから、最初と最後で出てくるこんなセリフが、どっしりと背中に乗りかかってくる。

(旅芸人一座は)皆、疲れていた

「旅芸人の記録」は、悪い意味ではなく、良い意味で疲れる映画でもある。それは濃密な映画体験をした時にだけ味わえる疲労だ。

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