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2004.11.02

山猫【イタリア語・完全復元版】

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山猫【イタリア語・完全復元版】
@テアトルタイムズスクエア(10月31日)

監督:ルキノ・ヴィスコンティ
主演:バート・ランカスター/アラン・ドロン/クラウディア・カルディナーレ

仕事の節目に映画を重ね合わせることがある。今、所属している部署に配属になる直前に見たのが、北野武の「キッズリターン」。最後のセリフ「まだ始まっちゃいねぇよ」が、いろんな意味で心に響いたのを今でも覚えている。1996年の冬のことだ。あれから8年、ルキノ・ヴィスコンティの名作を、そういう個人的な節目に重ね合わせるのはどうかとも思うのだが、私は「山猫」を世代交代の映画として見た。自分が、滅び行くサリーナ公爵(バート・ランカスター)なのか、それとも新しい世代の担い手であるタンクレディ(アラン・ドロン)なのかは、ここではさておき、映画は、サリーナ公爵の引き際がたまらなく愛おしい! 原作はシチリアの貴族ランペドゥーサで、映画を撮ったヴィスコンティはミラノの貴族の末裔。「山猫」で描かれているのは、やがて滅び行く没落貴族。滅びの美学である。

トータル187分。終始、絢爛豪華。もう、いろんなところで言い尽くされているんだろうけど、クライマックスの舞踏会のシーンはただただ圧巻だ。これこそ、映画館のスクリーンで見るべき。他の映画と同じ1,800円で見られるのがウソのよう。例えば、王家衛の映画なんかも、ある意味、豪華だけど、この映画と比べたら子供みたい。全体の約1/3の時間(てことは、約1時間もあったわけだ)を割いたといわれる舞踏会のシーンは「二度と撮ることができない」といわれているだけに、このためだけに映画館に足を運ぶのもアリだと思う。いやぁ、映画館で見ることができて幸せだ。

クライマックスの舞台会はドン・ディエゴポンテレオーネ公爵の屋敷(この屋敷がスゴイんだ!)で開かれる。タンクレディの婚約者、アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)は、そこで社交界デビュー。これからの時代の主役となる2人は、いわば幸せの絶頂だ。に対して、サリーナは、自分の時代が終わりつつあるのを、自分で分かっている。このギャップは、端から見ると何とも残酷。しかし、サリーナは根っからの貴族だ。“老い”つつあるも、弱くはない。

にしても、この舞踏会、いったい何人いたのやら。本物の貴族もエキストラとして参加していたそうだけど、とにかく豪華。だから、こんなシーンが、余計に印象深くなる。若い人たちがキャーキャー騒いでいるのを見て、サリーナは「まるで猿だ」といい放つのだ。この気持ち、何だか分かる。舞踏会には、あんなにもたくさんの人がいるのに、サリーナはひたすら孤独。舞踏会の最中も、自分の居場所がなくて、部屋を転々とする。そして、目の前に飛び込んできた1枚の絵(瀕死の老人が描かれた「義人の死」)。ハッとしたなぁ。サリーナは、その絵そのものなんだから。しかも、本人はぜんぶ分かっている。分かっていて、自ら引く。見事!

舞踏会が終わり、ラストのサリーナは、誰も寄せ付けない孤高の人だ。ただただ、孤独。すべてを自分の中にしまい込み、新しい時代の到来を感じながら町を歩く。その背中が、たまらない。これぞ、本当の貴族なのだろう。

ちなみに、日本で1964年に公開された「山猫」はオリジナル版を大幅に短縮した英語国際版。物語の完成度が高いとされるのは、1981年に公開された「イタリア語・オリジナル完全版」の方だが、プリントの保存状態が悪く、発色が良くなかったそうだ。この映画の魅力は、とにかく絢爛豪華なところ。だからこそ、英語国際版の発色と、イタリア語・オリジナル完全版の完成度が合わさった、今回の「イタリア語・完全復元版」には価値があるのだろう。例えば、映画の前半、市街戦のシーンなんかは、赤シャツ隊の「赤」が実に印象深い。

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